広島の水道のはじまり ~元気な広島の水道~

広島に水道ができたころ

昔の井戸水を汲み上げるイメージのイラスト今から100年以上前の明治27年、日清戦争(にっしんせんそう)がおこり、広島には軍人がたくさん集まっていました。広島は、川の砂が海にながれてできたデルタの町なので、井戸をほっても、人の飲める水が出てきません。たくさんの人が水を飲むためには、遠くから水を運ばなければなりません。
「やっぱり水道をつくろう。」
そして、明治31年8月25日、今の東区、牛田のビッグウェーブのところにある、牛田浄(じょう)水場が完成しました。広島の水道は、全国で5番目にできました。

広島に原子ばくだんが落とされた時のこと

原子ばくだん 昭和20年8月6日午前8時15分、広島に原子ばくだんが投下され、いっしゅんのうちに、町が消えてしまいました。
しかし、その時も、水道は止まらなかったのです。浄水場では、けがをした水道局のおじさんが、水を送るポンプをいっしょうけんめい修理(しゅうり)して、町に水を送り続けていました。
広島の水道は、明治にできてから、一度も止まっていない元気な水道なんですよ。

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桑原卯之助(くわばらうのすけ)と八木(やぎ)用水

八木用水の地図 むかしむかし、西原村の人たちは水不足になやんでいました。水がたくさんないと、いねがつくれません。
こまっている村の人たちを助けてあげたのが桑原卯之助です。卯之助は用水路(ようすいろ)をつくり太田川の上流の水を西原村にとどけることを考えました。この用水路が八木用水です。
卯之助のおかげで村の人たちはいねを前よりたくさんつくることができるようになりました。

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